
小中高等学校に加えて大学4年,大学院6年と,おそらく普通の人よりかなり長い期間,”学生”をしていたという自覚があります。その中でも,特によく思い出すのは,高校卒業から大学入学まで1年間通った予備校時代のことです。

小中高等学校に加えて大学4年,大学院6年と,おそらく普通の人よりかなり長い期間,”学生”をしていたという自覚があります。その中でも,特によく思い出すのは,高校卒業から大学入学まで1年間通った予備校時代のことです。

長らくの新型コロナウィルス感染症,自然災害などの影響で,さまざまにお大変な状況におられる方々に,こころよりお見舞い申し上げます。
季節外れ雨降りが続いた8月22日,3か月連続のオープンキャンパス開催の運びとなりました。本学・本学科にお越しいただいた皆様,まことにありがとうございました。
「よし、ご馳走する!ステーキ!」
ガッカリだけど、楽しい思い出。
実験終了。4年生の卒業実験、脳波記録が終了。先輩は、「保野、行くぞ!今日は、ご馳走する。ステーキや!」僕は、心の中で「やった~!」とガッツポーズ。大学の校門で待つように言われ、仲間数人と先輩を待つ。すると、1台のタクシー。中から先輩が「乗れ、乗れ」僕らの口はポカっとあいたまま。タクシーに乗り込むと、先輩は、「実験手伝ってくれてありがとな。今日は、歩かんで。タクシーでステーキや!お礼や!」先輩、太っ腹。5分ぐらいでタクシーは停車。「ここや!お店の看板に「ステーキハウス●●」。ここか~。お腹がグゥ~グゥ~。その看板のお店を見ていると、「そっち違うで~、こっちや。」と言いいいながら、向かいの「居酒屋 ●●」へ。???ステーキハウスが離れていく。居酒屋に入ると、先輩、早速注文。「大将、いつものステーキ!5人前」やっぱりステーキか。安堵。何か先輩はニヤニヤしている。「はいよ、ステーキ5人前!」持ってきたステーキを見る。姿は似ているが色が違う。先輩が一言。「今日は、ステーキでも、コンニャクステーキ!食べろ、食べろ!」ガッカリ。
このような光景は、今の大学生活で見られるのだろうか?特に、昨年か続くコロナ感染状態。会食もままならない。このような状況も、思い出にはなるが、何か寂しい。かわいそうな気がする。このような中での思い出作り。今、3,4年ゼミの皆さんの思い出に残る計画を密かに計画中。秋学期に決行だ!ステーキハウス?無理無理。

本学は高大連携枠でのキャンパス見学を受け付けていますが、このたび、岡山県立倉敷青陵高校の1年生が来学してくれました。例年もこの時期に来てくれるところ、昨年はコロナ禍で残念ながら中止となり、2年ぶりの対応でした。
コラムのお題が決まったあと、すぐに“このこと”が頭に浮かびました。その後、先生方が綴られるコラムを拝見して、「こんな話題もあるのか・・・」と驚き感嘆し、自分の発想力のなさ、経験の幅の狭さを改めて思い知りましたが・・・。
開き直りと諦めの気持ちだけですが、最初に頭に浮かんだことを書きます。もちろん、別に面白い話しでもなければ、共感を期待できるような話しでもありません。ただの独り言です。

小・中・高と嫌な思い出しかありません。楽しい思い出もありますが、「あんなことを楽しいなんて思っていた自分」と思い出して嫌になります。(過去の自分の感情を軽蔑できるのは・・・の証拠です。{・・・}に入る言葉は何でしょうか。)
それだけ豊かな生活だったということでしょうか。「ああいう経験をしておいてよかったなあ」と思うのはたいてい嫌な経験ですから。「悪い経験をする」というのはよい経験です。
というわけで、学生時代は「ラテン語をやった」というのが一番の思い出でしょうか。
しかし、学んだのは人間の見方でした。30で始めたロシア語もそうですが、教えてくれる教師も、一緒に勉強する仲間もいない。1円にもならないし、女の子にもてる、なんてことはあり得ない。周囲の目。一定の段階に達しないと、周りは認めてくれません。認めてもらえなくても構わない、分かるのは自分だけ・・・と思えるようになったとき・・・
こういうことを書くのは、自分でも恥ずかしいのですが・・・
「恥ずかしいという気持ちを失わずに、恥ずかしいと思う気持ちに打ち勝つ心を持たねばならない」(モンテスキュー)
「何であれ善いもの近づくためには…回り道をしなければならない。
自分の道を歩いているかどうかは・・・歩き方で分かる」(ニーチェ)

私が大学4年間を過ごした徳島は夏の阿波踊りの時期を除けば、とても穏やかなところで、愛媛で生まれ育った私が感じた文化の違いはと言えば、テレビをつけると流れてくる関西圏の番組と関西弁に似た阿波弁くらいで、とても居心地の良い場所でした。
仲の良かった友人の一人がちょっと変わった人で、深夜のアルバイトが終わり、帰宅する際に私が一人暮らしをしていたアパートのベランダの前にやってきては小声で私の名前を呼び、寝てる私を起こすという困った人でした。小声にもかかわらず、私はその声で目をさましてしまい、「絶対に出てやらないぞ」と心に決めて、知らぬふりをしていると、翌日、決まって大学の通学途中に会い、その深夜のアルバイトで起きたことを色々話してくれたのでした。私はその話に関心を向けると、また夜中に名前を連呼されると思い、そっけないふりをしてやろうと思うのに、その話があまりに笑える話で、結局、興味津々で聞く羽目になっていました。
そんな困った友人でしたが、私の不調にいち早く気づくのもこの人で、私が体調不良で大学を休んでいると、スーパーで買ってくれたお惣菜や果物をアパートのドアノブに(この時ばかりは静かに)かけてくれたり、電話に出た私の声が暗いと感じると、「今からそっちに行こうか?」と声をかけてくれる心優しい人でもありました。
卒業後はお互い離れた県で生活をしていますが、年に1回ほど電話をくれたり、いつだったかは「来週、岡山に会いに行こうと思う」と、夕飯を食べるためだけに新幹線に乗って来てくれたこともありました。頻繁に連絡を取らなくてもつながり続けている感覚がもてるのも、青春時代を一緒に過ごした仲間だからこそなのかなと思います。