カテゴリー: 教職員コラム

教職員コラム お題「学生時代の思い出」 林 明弘

 

 小・中・高と嫌な思い出しかありません。楽しい思い出もありますが、「あんなことを楽しいなんて思っていた自分」と思い出して嫌になります。(過去の自分の感情を軽蔑できるのは・・・の証拠です。{・・・}に入る言葉は何でしょうか。)

 それだけ豊かな生活だったということでしょうか。「ああいう経験をしておいてよかったなあ」と思うのはたいてい嫌な経験ですから。「悪い経験をする」というのはよい経験です。

 というわけで、学生時代は「ラテン語をやった」というのが一番の思い出でしょうか。

 しかし、学んだのは人間の見方でした。30で始めたロシア語もそうですが、教えてくれる教師も、一緒に勉強する仲間もいない。1円にもならないし、女の子にもてる、なんてことはあり得ない。周囲の目。一定の段階に達しないと、周りは認めてくれません。認めてもらえなくても構わない、分かるのは自分だけ・・・と思えるようになったとき・・・

 こういうことを書くのは、自分でも恥ずかしいのですが・・・

「恥ずかしいという気持ちを失わずに、恥ずかしいと思う気持ちに打ち勝つ心を持たねばならない」(モンテスキュー)

「何であれ善いもの近づくためには…回り道をしなければならない。

自分の道を歩いているかどうかは・・・歩き方で分かる」(ニーチェ)

林明弘

教職員コラム お題「学生時代の思い出」 中村有里

私が大学4年間を過ごした徳島は夏の阿波踊りの時期を除けば、とても穏やかなところで、愛媛で生まれ育った私が感じた文化の違いはと言えば、テレビをつけると流れてくる関西圏の番組と関西弁に似た阿波弁くらいで、とても居心地の良い場所でした。

 仲の良かった友人の一人がちょっと変わった人で、深夜のアルバイトが終わり、帰宅する際に私が一人暮らしをしていたアパートのベランダの前にやってきては小声で私の名前を呼び、寝てる私を起こすという困った人でした。小声にもかかわらず、私はその声で目をさましてしまい、「絶対に出てやらないぞ」と心に決めて、知らぬふりをしていると、翌日、決まって大学の通学途中に会い、その深夜のアルバイトで起きたことを色々話してくれたのでした。私はその話に関心を向けると、また夜中に名前を連呼されると思い、そっけないふりをしてやろうと思うのに、その話があまりに笑える話で、結局、興味津々で聞く羽目になっていました。

 そんな困った友人でしたが、私の不調にいち早く気づくのもこの人で、私が体調不良で大学を休んでいると、スーパーで買ってくれたお惣菜や果物をアパートのドアノブに(この時ばかりは静かに)かけてくれたり、電話に出た私の声が暗いと感じると、「今からそっちに行こうか?」と声をかけてくれる心優しい人でもありました。

 卒業後はお互い離れた県で生活をしていますが、年に1回ほど電話をくれたり、いつだったかは「来週、岡山に会いに行こうと思う」と、夕飯を食べるためだけに新幹線に乗って来てくれたこともありました。頻繁に連絡を取らなくてもつながり続けている感覚がもてるのも、青春時代を一緒に過ごした仲間だからこそなのかなと思います。

 

中村有里

 

 

 

教職員コラム お題「学生時代の思い出」 谷原弘之

 

大学時代は関東で過ごしました。6畳一間のアパートには風呂がなく、銭湯へ通っていました。いわゆる、かぐや姫の「神田川」の世界です。

 当時は中古車屋でのアルバイトが楽しく、陸運局へ車の名義変更に行ったり、オークション会場へ車を運んだりと、自分では買えない車を運転することが喜びでした。バイトは1人だったため、車の仕入れ値から販売価格まで教えてもらえ、世の中の経済を学ぶ機会にもなりました。とてもいい社長で、アルバイトなのに車を売るとボーナスが支給され、なぜか大学の先生が高級車を買ってくれたことがありました。ある正月に、実家へ帰るお金もないので一人で店を開けていると、お客がいっぱい来て、三が日の間に3台も車が売れ、けっこうなボーナスを手にしました。今から考えると、あのころはバブル景気の前兆だった気がします。

 大学3年の時、東京ディズニーランドが開園しました。同級生の何人かは大学を中退してオープニング・スタッフとして就職していきました。チケットをもらい何度か遊びに行きましたが、当時は“夢と魔法の王国”というキャッチフレーズで、どこか夢の世界がやってきたワクワク感がありました。

 大学時代を振り返ってみると、社会をいっぱい感じていた気がします。今、大学にいることで、それを継続しているなと思っています。

 谷原弘之

教職員コラム お題「学生時代の思い出」 竹内いつ子

大学3年生の大晦日、お蕎麦屋さんで1日だけのアルバイトをしました。

思い起こして表にしてみました。

注)時間帯はおおよそのものです。

 

およそ16年前の出来事ですが、とても鮮明に思い出せました。

365日のうちのほんの1日、そしてこれまでの曲がりくねった人生のなかの一コマではありますが、世間というもの、人というもの、また自分と触れ合った忘れがたき体験として、

現在の私のなかに息づいているようです。

この晩、一足先に帰宅し、「天ぷら売り切れてたよ~」とお湯を沸かしていてくれた、戦友H、Mと、もちろんいただきましたよ、お蕎麦。あの店主とマダムが打ちに打った打ち立てのお蕎麦、そして、私めがパックいたしましたお蕎麦たちです。

 

店頭・店内の大小悲喜こもごものドラマ、店主とマダム、美人奥様のことなど思い出しつつの労働後の1杯、格別でした。

竹内 いつ子

教職員コラム お題「学生時代の思い出」 武井 祐子

 

 電車と市バスを使って京都のある私立高校に通っていました。今はそうでもないのだとは思いますが、私が高校生だった当時のその高校にはとても個性的な先生が多くて、楽しいというか、受験に必要な内容とはほど遠い内容をたくさん教えていただきました。当時は、高校でも勉強は教えてもらえるけど、受験に必要なテクニックや内容は、予備校や塾、家庭教師に教えてもらうのが当たり前といった雰囲気で、通っていた高校では受験に必要な勉強以外の内容がかなり盛り込まれていたように思います。姪が同じ高校に通っており、なんとなく今はそういう感じではなさそうなので、その時代にはそういうことが許されていたのかもしれません。

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教職員コラム お題「学生時代の思い出」 瀧川 真也

 人は日常生活の色々な場面で過去の経験(自伝的記憶)を思いだすが,認知心理学では過去の経験を振り返ることには役割があると考えられている。その1つに「方向づけ」機能があり,これは自伝的記憶が様々な判断や行動を方向づけるのに役立つ。たとえば,失敗した経験から教訓を得ることで,その後に経験する類似した場面ではその経験を生かすことができる。

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教職員コラム 「学生時代の思い出ー水野祥太郎学長のこと」 澤原 光彦

 私が川崎医科大学に入学した1978年は水野祥太郎先生が医大の学長を務められた最後の年度に当り、我々医大9期生は水野学長が医学概論を講じられた最後の学年となります。水野先生は1907(明治40)年のお生まれで、大阪市立大学及び大阪大学整形外科教授を経て、1970年川崎医科大学教授、1972年川崎医科大学学長(二代)に就任されました。水野先生は戦時中から傷痍軍人のリハビリテーション(という医学用語はまだ日本にありませんでしたが)を開拓されておられ、日本リハビリテーション医学会設立会合(東京・学士会館:1963年9月)と同学会第1回大会(大阪:1964年7月)の開催時には共に会長を務められました。

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教職員コラム お題「学生時代の思い出」 髙尾 堅司

 研究対象となるフィールドを求めていた大学院生の頃,他大学の先生の研究活動に加わる機会を得ました。驚異的な行動力のある先生に引っ張られるように,中山間地域にて研究を行うことになりました。その中山間地域では,地元住民以外の方が棚田のオーナーになり,地元住民の方と棚田での稲作をともにし,各種行事を通じて交流する棚田オーナー制度が実施されていました。最初は右も左も分からず戸惑ってばかりでした。しかし,美しい自然のもとで人々と交流することの意義に気付くのに,それほど時間は要しませんでした。

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教職員コラム お題「学生時代の思い出」 進藤 貴子

 中学校の思い出。宿泊研修の夜、ゴキブリが出て皆がきゃーきゃー言っていたら、担任のK先生(生物の先生)がやってきて、「みんな! アブラムシは、アブラくないからムシしなさい」と笑わせて静めてくれました。いつもきまじめなK先生もネタあるんだ。しかも生物ネタだ。大人のたしなみだ。なぜか尊敬の念が湧きました。

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