数年前に、とても熱心なゼミ生さんがいまして、このテーマで卒論を書いてくれました。すばらしい力作でした!
さて「可視性(visibility)」という言葉ですが、文字通り“目に見えること”です。ソーシャルサポートの可視性というのは、サポートの受け手(してもらう側)にとって、自分が助けてもらったことがわかるか、わからないかという問題です。(はっきり)わかるのが「visible support」(可視性の高いサポート)、(あまり)わからないのが「invisible support」(可視性の低いサポート)というわけですね(#)。
ちなみに、そのゼミ生さんが関心をもっていたのは「不適切なソーシャルサポートの可能性」でした。どちらの方が良くない(不適切とされている)か、わかりますか? 答えは「visible support」の方です。あからさまでいかにも助けられている、というのでは(一種の上方比較=優れている人と自分を比べる事態になり)助けられる方がかえって傷ついてしまうかもしれない、と考えられています。だから、送り手の「助けてあげよう」という意図を受け手が感じずに済むようなサポートのほうがいいのだ、と。
(#)Zee, K. S., & Bolger, N. (2019). Visible and invisible social support: How, why, and when. Current Directions in Psychological Science, 28(3), 314-320.
そんなわけで、私も、さりげなく、それと気づかれないようなサポート・・・ができるといいなあ、と思う次第です。
ただ・・・最初に書いたゼミ生さんの卒論では、1点だけ、思っていたのと違う結果になってしまう箇所がありました。それは「可視性の低い(はずの)サポート」の方が、受け手はそれをしてくれる人のサポート意図(自分を助けようとしてくれる気持ち)を強く感じていたんです。だいぶ工夫して(2段階の予備調査をして)条件設定をしてみたんですけど・・・。
本当に自分のことを思ってくれる人は、わざわざそんなこれ見よがしにあからさまなことは最初からしないんだ、ということなのかもしれません。
「イチオシ」キーワード、という趣旨から外れてしまった気がします。お悩み相談のような終わり方で、どうもスミマセン。