教職員コラム 「私のイチオシ心理学キーワード:クレバー・ハンス」 山根 嵩史

 クレバー・ハンス(賢馬ハンス)とは,19世紀末のベルリンで話題になった馬の名前です。心理学では古くから動物を対象とした実験が行われており,教科書にも様々な動物が登場します(“パブロフの犬”なんかは有名ですね)。しかし,ハンスはこれらの動物たちとはまた違った形で,心理学の発展に貢献しました。

 ハンスの逸話として伝わっているのは次のようなものです。ハンスは非常に賢く,人の言葉を理解し,様々な問題に回答することができました。計算問題が得意で,加減乗除や分数の計算まで出来たというから驚きです。もちろん,ハンスが人語を喋れるわけではないので,問題が与えられたら正解の数だけ蹄で地面を叩く,といった方法で回答したようです。ハンスの調教師であったオステンによる宣伝効果もあり,ハンスは一躍有名馬となりました。「オステンのトリックなのではないか」という疑いから調査チームも結成されましたが,ハンスはオステン以外が出題者の場合にも問題に正解することができ,一度は「トリックではない」というお墨付きも出たそうです。

 しかしながら,当時の心理学者シュトゥンプと,その学生プフングストによる追加の調査によって,残念ながらハンスは人の言葉が分かるわけでも,計算ができるわけでもない,ということが明らかになりました。鍵となるのは「出題者が問題の答えを知っているかどうか」でした。出題者が答えを知っている場合,ハンスは9割以上の確率で正解できたのですが,出題者も答えを知らない場合には正答率が約1割まで下がってしまったのです。シュトゥンプとプフングストの結論は,「ハンスは問題に答えているのではなく,(答えを知っている)出題者の微細な体の動きに反応している」というものでした。オステンも他の出題者も,ハンスが正解することを期待するあまり,本人も意図しない形でヒントを与えてしまっていたわけです。

 このハンスの逸話は,おそらく心理学科の学生さんであれば誰でも,心理学研究法に関する授業で(“実験者期待効果”や“ブラインド・テスト”といったキーワードとともに)学ぶことになります。改めて書き起こしてみると,落語のような展開のなかに心理学研究のエッセンスが詰まっていて,やはり良いエピソードだな,と感心します。そういえば,数年前にもワールドカップの結果を予言できるタコがニュースになったりしていました。人間以外の動物にも,ついつい我々と同じような知性を見出したくなってしまうのが,人間の性なのかもしれませんね。

山根 嵩史