教職員コラム お題「今,熱中していること ver.2022」 進藤 貴子

 休日、本当は百貨店などできれいなものでも見て楽しみたいのですが、コロナ禍で自粛、なのでたまのお休みには倉敷近郊の史跡を訪れることがあります。小さな資料館が意外に面白く、時間を忘れて隅々まで見てしまいます。地味〜な楽しみですが、これもある種の熱中というのかも。

 先日玉島の旧柚木家住宅に行ったら、ちょうどその日は玉島の恩人といわれる熊田恰さん(1825-1868)がその一室で切腹されたというご命日でした。自分が松山藩の責任をとって切腹するから玉島(松山藩領)に戦火を放たないでくれと池田藩の奉行に差し出した訴状は「お殿様が幕府方について戦っているのは私がちゃんと諌めなかったせいで、何もかも私の責任ですので」(そんな訳ないだろう…)との、組織人らしい内容で、44歳の生涯に涙が出ました。四尺六寸(身長約175cm)の偉丈夫だったという資料があったり、身の丈八尺(190cm)のすごい人だった、みたいなことが書かれてある賛辞もあり、土地の方々の思いがうかがえました。

 吉備真備(695-775)の資料館も面白いものでした。中国にわたって夜な夜な空を飛んでいたのでやばい人と思われていたとか、囲碁の腕を中国の名人相手に試されて、負けそうだったので碁石を一つこっそり飲み込んで勝ち、国の名誉を守ったとか(この件にはあまりきれいではない後日談があるようですが、ここに書くのははばかられます)、吉備真備の奥さんは奈良からお嫁に来たとか、お子さまは伊予松山で公務員をしていたとか、想像がふくらむお話がたくさんありました。

 長く慕われている地域の恩人といえば、秀吉に水攻めをされた際、切腹して城下の人を守ったという、高松城の清水宗治公(1537-1582)です。高松城址のそばの和菓子屋さんには「水攻めまんじゅう」があります。とろりとした生あんこがとても美味ですが、水攻めされた沼地の泥のような見た目で、名付けがシュールですね。

 そんなのあり!?の発見がいろいろあるので、史跡の散策には熱中してしまいます。史実に関する私の記憶や理解に間違いがありましたらお許しを。

進藤 貴子