教職員コラム お題「私の地元を紹介します」 澤原 光彦

 今回紹介する片上鉄道は柵原鉱山(旧柵原町)で産出された硫化鉄鉱を片上港(備前市)まで運搬する為に1931年(昭和6年)に柵原‐片上間33.8㎞が開通したのですが、1987年(昭和62年)には鉱石輸送はトラックに移行し、1991年(平成3年)3月に柵原鉱山が閉山となると同年6月末をもって廃線となりました。―その間、私は小学生時には医療機関通院の為に、中学時には書店のある町まで出かける際に、高校・浪人時代は毎日の通学に、乗車してきました。

 廃線後にも終点柵原駅の一つ手前の旧吉ヶ原駅には駅舎と周辺設備・線路が部分的に残されており、それらを中心に「柵原ふれあい鉱山公園」が整備され(1998年11月開園)、さらに線路跡地はサイクリング道路「片鉄ロマン街道(2003年11月開通)」となり、かつての天瀬駅と苦木駅(共に旧佐伯町)の旧駅舎が整備の上、休憩所として活用されています。

 片上鉄道の廃線1年半後の1992年11月に「片上鉄道保存会」が設立され、1995年9月には気動車キハ312の購入、旧吉ヶ原駅線路にて試運転、1998年12月に整備された直後の「柵原ふれあい鉱山公園」で第1回片上鉄道車両展示運転が行われたのでした。以後、毎月第1日曜には定期的な展示運転が会員の手によって行われており、鉄道ファンには「知る人ぞ知る」存在となっています。
 そしてその後も2014年11月には、展示運転の線路を約100ⅿ 延伸し新たに設置された「黄福柵原駅」の開業(公式には「黄福柵原駅」は町が整備した公園隣接の駐車場における休憩所兼公衆トイレなのですが)に至ったのでした。
 この1991年の廃線から7年半後の展示運転の開始、23年半後の「新駅の開業」は、おそらく全国的にも例がなく、素晴らしい快挙であり、その背景には保存会のメンバーの長年の地道な活動があったのは賞賛に値すると考えます。上記の「線路を約100ⅿ 延伸」の工事作業は、保存会メンバーの文字通りの手作業によるものであったのです。


 私は、保存会のメンバーでも何でもないのですが、かつて私が連日の様に乗っていた片上鉄道をこのように大事にしてくださっている保存会の皆様の活動には本当に深く感謝するとともに頭が下がる思いが致しますので、ここに紹介した次第なのです。

澤原 光彦