教職員コラム お題「私の仕事」谷原弘之

 私が心理職として精神科病院へ就職した30数年前は、岡山県内に200床以上の単科精神科が10病院ほどありました。当時は患者さんの交流が活発で、ソフトボール大会とバレーボール大会が定期開催され、私はマイクロバスの運転と両種目とも経験がないにもかかわらず、なぜかコーチをやっていました。

 

 この頃に心理職が雇用されていた精神科病院は半数程度で、当時の心理職仲間の定説は「精神科病院に心理職が1人採用されれば良い病院」というものでした。このため、私の世代の心理職は極端に人数が少ないのが特徴です。

  私が就職した病院には、まだ木造の病棟がありました。医師からは「患者さんと廊下で話すときは、不意打ちをされないように壁に背中をつけて話をするように」という注意を受け、忠実に守っていました。グループワーク中に眼球上転発作を起こす患者さんがいたり、アカシジアによる足踏みをする人もいました。

 就職して5年ほど経ったときに「臨床心理士」の資格ができました。資格を取得したことで、職場の中で少し市民権を得られた気がしました。

 

 その後は、精神科デイケア、精神科ナイトケア、重度認知症デイケア、特別養護老人ホーム等を経て、働く人のメンタルヘルス対策、そして大学教員へと仕事が移っていきました。念願の国家資格が「公認心理師」という形で実現し、大きな仕事が終わった気がしています。

 

 これからは、ささやかな経験を後進に語り継ぐことができたらと、細々と考えている今日この頃です。

谷原 弘之