教職員コラム お題「私の宝物」髙尾堅司

 周知の通り,日本各地には数々の方言が存在します。意図的に方言を使用している場合はそうではないかもしれませんが,方言は日常生活の一部に溶け込んでいるものの一つではないかと思います。

 そして,日常生活に溶け込んでいるということは,視点を変えれば非常に大切なものとみなせるのではないでしょうか。その意味で,私が最近大切と思う宝物の一つとして,「方言」を挙げたいと思います。

 私にとって,関西以外の地域において「関西弁」を耳にすると,思わず振り返ってしまうことが多々あります。そして,違和感のない「関西弁」を耳にすると,なんとも表現し難い暖かみを感じることができます。なぜ,暖かみを感じるのか,最近まであえてその理由について深く追求したことはありませんでした。

そんなある日,ふと大学時代に受講した講義を思い出しました。20年以上前,私は言語心理に関する科目を受講していました。その担当の先生が,「突然,現在使用している言語ではなく,別の言語を話さないといけなくなったとしたらどう思いますか。」といったことをおっしゃっていた記憶があります。随分と前のことなので思い違いの可能性がありますが,「はっ」とした覚えがあります。言葉は目には見えませんが,自分自身のアイデンティティの一部であることに気づかされたからです。以上の理由で,方言は大切にしなければならない「宝物」のように思います。

髙尾堅司