教職員コラム お題「私の地元を紹介します」 福岡 欣治

 私は生まれてから就職するまでの20数年間、京都で暮らしていました。実家は嵐山にあります。もう、離れてから20年以上になりますが。

 

 九州は熊本から出てきた父が、京都市の外れ(西の端)である嵐山(桂川の西側(上流からみると右岸)、昔の右京区、その後の人口増による分区で西京区と呼ばれるようになったところ)に住み始めたのは、今から60年前くらいでしょうか。当時は建物がまばらで、阪急電鉄の終点である嵐山駅の、1つ手前の松尾駅(現・松尾大社駅)から来る電車が、ずいぶん遠くからよく見えたそうです。
 私が子どもの頃は、すでにそんなことはなく、線路沿いはふつうの住宅街でしたが。

 

 数分歩けば名所旧跡、休日の昼間はたくさんの観光客で賑わう嵐山も、ときには人影少ない時季や時間帯があります。とくに右岸側の川下は観光地でもありません。だから、子どもの頃は本当によく遊びました。川や河原や河川敷は、山裾の公園も含めて、魚や虫を捕ったり、仲の良い友だちと繰り出すには、ちょうどよいところでした。

 

 写真は、数年前に、実家から歩いてほど近い場所から撮ったものです。手前の橋は「渡月橋」、観光ガイド用にはよく反対側の岸から撮影されますが、この角度からの写真もときどきあります。橋のすぐ後ろ、左側の丸い小山は「小倉山」(おぐらやま)、小倉百人一首の「小倉」です。右奥(ずっと後方)になだらかな稜線の見える山は「愛宕山」(あたごやま、あたごさん)、京都府内では一番標高の高い山で(924m)、山頂には愛宕神社があります(私も小学生の頃から都合10回ほどは登りました)。この2つの山は、ずっとずっと昔、京都に「都」が移ってくる前から、そこにあるのでしょう(京都の神社には創建が平安時代より前のものがあり、愛宕神社も(松尾大社もですが)その1つだそうです)。

 

 渡月橋、わかりにくいかもしれませんが、実は少し特殊な橋です。これくらいの大きさの橋ならふつうは必ずある「街灯」が見えません。私が京都にいた頃は、本当に街灯がなく、日が暮れた後の橋上は「真っ暗闇」になっていました(高校から大学院を出るまでの大半、通学路の一部でした)。その後、小さな水力発電の設備が目立たないように川縁に造られ、その電気を使った背丈の低い街灯が欄干の内側について、今は夜も暗闇ではありません。でも、写真にはそれが写らないので、(人や車が通っていなければ)「まるで、タイムスリップしたかのような」昔の時代の橋に見えます。ちなみに(柱はコンクリートですが)欄干はすべて木製で、何年かおきに取り替えられています。
 だから、この橋と周りの風景は、私の記憶にある一番古いものと、今もまったく変わっていません。

 

 ・・・・・・だから何? ええ、そうです。ただの一人語りです。年月とともにすっかり変わってしまった自分の、変わらない風景についての。

福岡 欣治