教職員コラム お題「私の仕事」 林明弘

 学生気分がいまだに抜けないので、「勉強しなきゃ」と思うばかりで・・

 学生は勉強しても給料をもらえませんから、職業として勉強しているという意識は昔からありませんでした。

 ですから今でも学問を教えるとか、研究とか、そういう職業意識はほとんどないです。

 専門が違うので、学生を直接指導する機会も少なく、学科に寄生している給料泥棒みたいなものだと、他の先生方に申し訳なく、忸怩たる思いです。

 「遊びたい」と思うことがないというか、「遊ぶってなんだろうと・・・」

 世間的に表現すれば、仕事も趣味も「本を読む」だけなので・・・

 ラテン語やドイツ語やロシア語を読むことが、勉強なのか趣味なのか考えても分かりません。家族の目には「遊び」に見えているかもしれません。

 

  トルストイが「一日中好きなことができる生活と、一日2時間だけ自由時間がある生活を比べてみよう。前者は後者よりも充実した生産的な生活であろうか。わたしはと言えば、全く正反対の経験をしている」と言っています。

 「そんなはずはない」と信じられない人は『若草物語』新潮文庫(上)の208ページ以下を読んでみてください。わたしの持っている本は古いので、ページ数その他違っているかもしれませんが「経験」という章です。

 『赤毛のアン』が出るまでは(今でも?)よく読まれた作品です。

 南北戦争に従軍牧師として出征した父の無事を祈りながら帰りを待つ母とそれぞれ性格の違う4人姉妹の((メグ16,ジョー15,ベス13、エミイ?この末娘の年齢は書いてなかったような)笑いと涙の生活が描かれています。(私がこんな本を読むのを意外に思う人がいるかもしれませんが、少女時代の心理を学ぶには良い教材で、英語の勉強も兼ねて)

 さて問題の箇所ですが、「一週間仕事や義務を免除され、好きなことをやってよい」となり、「遊び呆けて暮らせる万歳・・」と喜ぶ娘に、母親が「遊びばかりで仕事がないのは、仕事ばかりで遊びがないのと同じくらいつまらないことに気付くでしょう」と予言します。

 この予言が的中します。面白いのは始めだけ。何をやって面白くなくなり、退屈し、イライラが募り・・・・まあ、これは心理学者なら簡単に説明できる心の変化でしょうが・・

 

 こういうことがない自分は遊びと仕事の区別ないから幸せなのかもしれないとも、思えます。となると、勉強以外の雑務が仕事だ、そう考えられるかな・・・?

 

林 明弘