教職員コラム お題「私の宝物」林明弘

 「宝物」というのは、何か「思い出の品」みたいなものを連想させますが・・・

それは「もう大事に取っておいて」実用に供されることのない、一種の「飾り物」みたいな感じを起させますが・・・・

 まず、「大事なこと」と「大切なこと」は違うというのが私の持論です。

「大事と小事」は影響力の違いによって決まります。健康は生活に大きな影響を与えます。

結婚や就職も、人生に決定的影響を与えます。軍事や外交も、国民生活に甚大な影響を与えます。だから大事です。「爪に何色の絵の具を塗るか」は人生に大した影響を与えません。化粧品を扱うとかモデルとか、特殊な職業の人を除けば、ですが。

 「え、マニキュアの色って大事だよね」といった学生に「君は大事なものと大切なものを混同している」と言ったことがあります。

 「大事なもの」多くの人に共通します。しかし「大切なものは」人さまざまです。

「わたしの宝物」が「わたしの」という言葉が付く以上、後者を指すならば、本当の宝物は「他人にとってはガラクタに見えるもの」というのが私の持論。

 以前テレビの番組で、高価な銀の食器が「自分の宝物」と言っていた芸能人がいました。もったいないので「一度も使ったことがない」そうです。

 あるプロの碁打ちは、ぼろぼろの折り畳みの碁盤が宝物だと言っています。

何万局も打った、思い出の詰まった、骨とう品どころか、廃品回収でも引き取ってもらえないガラクタです。

 そういうものが宝物というなら、ボロボロで使えなくなった外国語の辞書が何冊かあります。

宝物を宝物にするのは、モノにある利用価値や影響力ではなく、「それを持つ人の心」にある、というのが私の持論。そういう心をたくさん持てる人が心の豊かな人。

林明弘