
会わなくても、その人の存在が、その人との思い出が今の自分を支えてくれている、そんなことを最近になって思うことがある。
私はもともと交友関係が広くなく、マメに連絡を取る方でもないので、自分から友人に連絡を取るのはその友人の誕生日だけだった、年賀状でのやりとりだけだった、という年がある。ただ、転職、結婚、出産、引っ越し、そんな人生の節目や、ピンチの時には決まって連絡を取り合うので、お互い電話やメールの着信があると「何かあったな」と思う。
私は彼らとどのくらいの時間を一緒に過ごしただろう…と振り返った時、時間で数えると驚くほど短い友人もいる。中には大学受験のための夏季講習で一緒に寮生活をした一週間だけだった、という友人も。それ以降、片手で数えられるくらいの回数しか会っていないはずなのに、今も「つながっている」と感じられ、何かあったらこの人が力になってくれるはずだ、と感じている。
友人との付き合い方は人によって、相手によっても違うだろう。ただ、その一瞬の出会いがその後の人生を変える、そんなことがごくまれにある。会っている回数や時間ではなく、その瞬間にどれだけその人と向き合えたかということなのだろうと思う。
写真はたまにしか連絡を取り合わない、そして、今も「つながっている」友人が初任給でプレゼントしてくれた「私の宝物」である。当時、私は「気の利いた筆箱」を探しており、友人が就職をした京都で見つけてくれた「気の利いた筆箱」である。このプレゼントを受け取った時、その友人が慣れない環境で悪戦苦闘した1か月の重みを感じ、私は涙が出た。15年以上大切に使い、四方が破れて補修が難しくなったこの筆箱を今も時々取り出しては友人のことを思い出し、また今の私が支えられている。

