教職員コラム お題「私の宝物」竹内いつ子

今日のお昼ごはんは,豚・イカ・エビにおもちをトッピングしたお好み焼きでした。

しかも大盛り。「大盛り」っていうのは実に素晴らしい。

ときに,食べても食べてもまだある,まだまだおいしいという頼もしさもあります。

大盛りの食べ物は,ひとりでたらふく食べるものよいし,親しい人やたくさんの人達といっしょに食べられることもうれしいものです。

 

時にひとりで,時に親しいひとたちと,あるいはたまたまその場に居合わせた人たちと,色んなものをさまざまな気持ちで食べてきました。

それが今の私の細胞となり,血となり,お肉となり,人となっております。

 

思えば,私は子どもの頃からわりに食い意地がはっていました。

夏になると,あちこちでの流しそうめん会で,上流でせきとめ,大人たちに注意されたのは1度や2度ではありません。(これはきっと仲間がいるはず)

最終的に,“流し”の下の方に配置換えを余儀なくされると,流しの先のざるに着目し,みんなの箸ばしを切り抜けた麺や具たちがひしめいていて,「案外ここが一番大漁だ」とせっせと平らげていました。

 

浜田廣介さんの童話『泣いた赤鬼』では,なんとか人間と友達になりたいと思った赤鬼が,「おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます。」と立札と用意をして,来客をいまかいまかと待ちわびているシーンがあります。

子どもの頃,この場面を読むたびに,たくさんのお客があってもよいように,たくさんのお菓子を用意して,今日も誰も来なかったなあ…と誰にも食べられなかった赤鬼とおやつを思うと,“今すぐ食べにいくのに”と思っていたものでした。

 

そんな食い意地のはった私ですが,忘れられないおむすびがあります。

かれこれ数年前,精神保健福祉士の実習でお世話になった精神科クリニックのデイケアにその後も続けて通わせていただいていました。

 

その後,臨床心理学の大学院進学のために東京から岡山に引っ越すことになったとき,デイケアの皆さんが,お別れ会を開いてくださり,そこで,“たけのこごはんのおむすび”をいくつも作ってくださったのでした。

私が“たけうち”なので,“たけのこ”のごはんとのことでした。

 

そのおむすびは,泣きながら食べました。

びっくりして,うれしくて,ありがたくて,さびしくて,ものすごくおいしいおむすびでした。

 

その姿を見たデイケアのメンバーさんに「やっぱりすごい食いしん坊だ(笑)」と言われ,途中から泣き笑いながら食べました。

竹内いつ子