教職員コラム お題「今,熱中していること」澤原光彦

 『熱中』と聞くと、青年期の水谷豊が教師や刑事に扮して奮闘活躍していたドラマ『熱中時代』(1978-’81年、日本テレビ系列)を思い起こします。この『熱中』という言葉は、当時「シラケ世代」なんて呼ばれた世代(我々よりもちょっと上の年代でしょうか)への一種のアンチテーゼか激励のニュアンスもあったように思います。

 さて、「熱中」と言うにはいささか熱気が足りないようにも思いますが、最近は出かけるとその近辺の木造多層塔(五重塔・三重塔・多宝塔)を眺めに行き、デジタル・カメラに収めたりしています。(ここでは、多層塔に多宝塔〈宝塔〉も含めます。一方で石塔にはあまり関心を抱くに至っていません)

 2011年9月に通りすがりに美作市の長福寺三重塔を見て「岡山県下にも美しい塔があるのだなぁ」と感心し、岡山文庫の『岡山の多層塔‐岡山文庫163(小出公大著、日本文教出版、1993)』を繙いた所、「はじめに」に『木造の三重塔だけを見れば、奈良や京都や滋賀辺りの府県よりも、岡山県のほうがその数は多いのである』と書かれていて興味を惹かれたのです。ちなみに、江戸期以前の木造三重塔は岡山県下に14基、兵庫県11基、京都府9基、奈良県8基、滋賀県7基現存しています。もちろん、これは三重塔に限っての話で五重塔・多宝塔を加えると岡山県は当然ながら京都・奈良・滋賀・兵庫には及びませんし、県下には国宝の塔はありません。

 何事にせよエンジンのかかりの遅い私は、2011年は前述の長福寺三重塔(鎌倉期建立。昭和26年真木山山頂から現在地に移築。岡山県下最古の木造建築とされる。国重文:トップ写真)に感心したきりで、2012年も秋に総社市の宝福寺三重塔(南北朝期建立。県下で2番めに古い三重塔とされる。国重文)を拝観に行っただけでした。やや積極的に塔を観に出かけるようになったのは2013年に入ってからで、京都に出向いた際に法観寺五重塔(「八坂の塔」、室町期建立。国重文)の中まで入ってみたり(ここは通常、誰でも入れます)、倉敷市の遍照院三重塔(室町期建立。国重文)や五流尊瀧院三重塔(江戸後期。県重文)、岡山市の安住院多宝塔(「瓶井〈みかい〉の塔/見返りの塔」、江戸期。県重文)や曹源寺三重塔(江戸後期。指定なし)などもっぱら県内を主に、近い所の塔を観に赴いたりしていました。そのうちに段々と、備後地域から、当然ながら京都や奈良に、さらには長野、滋賀、兵庫と足を伸ばすようになり、気がつけば2017年3月末現在で拝観し写真を撮影できた多層塔は、江戸期以前の木造の物が120基にのぼり、その内で国重文または国宝の塔は92基、ということになりました。

写真2

 こうやって見て歩いていると、感ずる所、考える所が出てきます。

 おそらく多くの人が「日本で最も可憐で美しい塔」に挙げるであろう奈良県宇陀市の室生寺の五重塔(国宝/写真家の土門拳が魅了されたことでも知られます:写真2)は平安初期に建立され、現存五重塔としては法隆寺のものに次ぐ古さなのです。つまり、五重塔の美しさは最初期-少なくとも平安初期には完成していた訳で、時代がくだるにつれ徐々に良くなるといったものではない、との事実が実感されるのです。実際、塔のプロポーション、シルエットの美しさは、江戸期の塔よりも、古いものの方が遥かに優れていると感ぜられます。

 一方で、贅を尽くした日本庭園などに移築され、庭園内の山頂に置かれた塔などを観ると、たとえそれが国の重要文化財であり、その県で最も古い木造建築物であるということであったとしても、ただのモニュメントに過ぎない様にも感ぜられ、いささか索漠たる思いが生じます。そして、これに比べればむしろ浅草寺五重塔(東京都台東区)や四天王寺五重塔(大阪府天王寺区)の方が、たとえ第二次大戦後の鉄筋コンクリート製であったとしても、信仰の重要なシンボルとして機能しており、いわば仏塔としてよっぽどまっとうなのではないかと考えたりもするのです。

写真3

  また、人里から離れた山の中に立派な寺院建築が存在することは間間ありうることですが、寺院へのアクセスの説明に「南海高野線三日市町駅より、南海バス『神納』降車。バス停から徒歩90分(岩湧寺・河内長野市)」とか「冬期(1月6日‐2月末)、路線バスは途中『小塩』で折り返し(善峯寺・京都市府西京区)」、なんて書いてあると、根性のない私などはたちまち意気阻喪してしまうわけです(なので、未だ行けていません)。そして斯くの如き不便で困難な山中に、お堂や塔を建立した古人の信仰心について思いを巡らすわけです。

 今更、言うまでもないことですが野外建築物の写真撮影は、天候や周囲の情況に大きく左右されるので、一度拝観して写真を撮ったとしても、季節が移り、それどころかほんの僅かの時間差で光線の具合が変化し印象が大きく異なることになります。 (念のために申しますが、私はレンズを対象に向けて、カメラの『オート』機能でシャッターを切るだけの、全くの素人です)

 従って、魅了された塔には、一度ならず何度でも足を運んで直接拝観したいのが本当なのですが、遠方の塔ともなるとそうそう出かけるわけにも行かず、また未だ拝観できていない塔も数多く、ちょっと悩んでしまうところです。

写真4

 未見の塔の最大の大物は、何と言っても薬師寺の東塔です。この名塔中の名塔はご承知の人も多かろうと存じますが、2009(H.21)年から解体修理に入っていて、現在覆屋の中のため直接の拝観は不可能です。完全な解体修理のため、当初は2018(H.30)年の修理完了を目指していたようですが、最近になって薬師寺のホームページを確認してみると、「修理の完了は平成32年6月頃となる見込みです」と書かれていて、どうやら2年ばかり修理期間が延長してしまったようです。修理の完了を待ち望んでいるのは、無論私ばかりではないはずで、覆屋が取れた暁には、修復なった姫路城に国内外から観光客が押し寄せたように、薬師寺に拝観者が殺到することと予想されます。

 薬師寺東塔と言えば、佐佐木信綱の名高い短歌が想起されます。残念ながら季節は異なりますが、その格調高い歌を引いてこの稿を締めくくります。

 

                          佐佐木信綱

          ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

 

                   (2017年4月8日 灌仏会に) 

 

 註記 

 写真1:長福寺三重塔(美作市・国重文) 2016年6月5日撮影 

 写真2:室生寺五重塔(宇陀市・国宝) 2014年7月20日撮影 

 写真3:三瀧寺多宝塔(広島市・広島県指定重文) 2014年10月19日撮影 

 写真4:羽黒山五重塔(山形県鶴岡市・国宝) 2014年8月18日撮影  

(写真はすべて澤原撮影)

澤原光彦