教職員コラム お題「私が学生時代に大切にしたこと」水子学

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 今となってはおそらく誰も信じてくれないだろう。

 幼い頃、私は引っ込み思案で人見知りの激しい子だった。親戚が集まる法事が苦手で、酒に酔って上機嫌になったおじさんにからかわれては、顔を真っ赤にして黙り込んでいた。人前で話す時には、口の中がカラカラに渇き、声や手が震え、足がガクガクしていたことを今でも覚えている。

 小学校高学年の頃には、少しは対応できるようになっていたが、それでも授業で発表することや大勢の人に注目される場面は、なるべく避けるようにしていた。しかし、小学6年生の時、人生の転機が訪れる。私が通っていた小学校では、毎年、学芸会で6年生が劇を披露する。舞台は教室ではなく体育館。演目は宮沢賢治の名作「よだかの星」であった。担任の先生の勧めもあって、私はあろうことか主役である「よだか」として舞台に立つことになったのである。もう逃げられない。台詞が1つか2つ程度の脇役しか経験したことがない私にとって、自分の器を超えた挑戦であった。

 猛練習の末、本番に臨んだ。しかし、恥ずかしいという気持ちを完全に克服することはできなかった。一生懸命、声を張り上げて動き回ったが、演技としては稚拙だったと思う。しかし、学芸会が終わった日の帰り道、鼻歌を口ずさみながら、知らず知らずのうちにニヤニヤしている自分がいた。登ったことのない山の頂から、今まで見たことのない景色を眺めているような、広い世界と自分がつながったような、ふわふわした心境だった。この日以降、私は何かに取り組む時、自分が持ち合わせている力で十分こなせることではなく、自分の力では少し足りない課題や役割に挑む姿勢を大切にしながら過ごすようになった。

 大学で心理学を学ぶようになったある日、ヴィゴツキーというロシアの心理学者が「発達の最近接領域」という理論を提唱していることを知った。この理論は、子どもの発達のとらえ方に関する極めてユニークな考えである。この理論の中で、ヴィゴツキーは、子どもの今現在の能力レベルに合わせて目標を定めるのではなく、子ども自身が独力ではできないことに目を向け、できないことからできることへの移行に焦点を当てることの大切さを唱えている。つまり、子どもが育っていくためには、自分ひとりで簡単に出来る課題を繰り返すことよりも、自分の力だけでは達成できないような少し上の課題に取り組むことが必要であるというのである。この考え方に出会い、「よだか」を演じた私は、まさに「少し上の課題」に取り組むことで、成長を遂げたのかもしれないと考えるようになった。そして、あの帰り道に感じた、ふわふわした心境こそ、自身の心が少しだけ大きくなったことの証であると思うようになった。

 さらに、ヴィゴツキーは、少し上の課題は、他者の助けがあってこそ達成することができると述べている。私に「よだか」役を勧め、あたたかく見守ってくれた担任の先生と友人達、そして、皆がうらやましがるくらい素敵な衣装を作ってくれた今は亡き母に感謝したい。

水子学