教職員コラム お題「私が学生時代に大切にしたこと」福岡欣治

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 「私が学生時代に大切にしたこと」という教職員コラムが始まったのは、2015年10月のことです。すでに10数名の先生方が原稿を作成され、記事としてアップされています(もしもこのページを見てくださっていたなら、今までの先生方の文章も、改めて?ぜひご覧くださいね!)。

 さて、実はこの教職員コラムについてはあらかじめ執筆順と締切の目安が決まっていまして、私(福岡)は内々の役割として、設定された期限までに原稿が完成するよう、執筆予定の方々にリマインドのご連絡をする係を務めています。今までは「○月○日がいちおうの期限になっておりますので、どうぞよろしくお願いいたします」などというお知らせを、それぞれの方にさせていただいていました。しかし、今回は自分で書かなくてはいけません。

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 正直に告白します。この教職員コラムを始めることが学科で決まったとき、私は内心、途方に暮れてしまいました。「学生時代に大切にしたこと」?? おそらく学生時代とは、主に、大学の学部1~4年生までのことを指すのでしょう。自分が「大切にした」と言えることは、あの4年間に果たしてあったのか?(仮に大学院生の頃を含めたとしても…)答えはまったくもって絶望的に思えました。そして、今も・・・

  すみません。何も、見つかりません。ごめんなさい。

 このコラムはおそらく、今、大学生である人、あるいはこれから大学生になるかもしれない人に向けて、書かれるべきものでしょう。私はすでに、そういう人たちの親の世代です。だから、学生時代はもう遠い昔のことで、今やすっかり記憶が薄れ・・・ているのだとしたら、まだ、救い(?)があるのかもしれません。しかし、実際にはそうではなく、たとえば大学での4年間をどんなふうに過ごしていたか、もちろんすべてとは言いませんが、思い出せることがたくさんあります。ただ、恥ずかしながら「あの頃、これを大切にしていた」と自覚できるものがないのです。

 1つ、勝手な思い出話をします。決して、面白くはない話しです(※そして、無駄に長い)。コラムの趣旨からみて適切と言えないことはわかっていますが、「学生時代」のことではあるのです。それを、半ばやけくそ気味に・・・。

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 大学4年生になる少し前、私は、就職活動をすることにしました。当時、大学の最終学年が近づく学生たちには、どこでどう知られたのかはわかりませんが、就職情報誌のサンプルなどが送られてきていました。
 大学3年間がもうすぐ終わろうかという冬、私はとても暗い気持ちでした。大学に入る頃、この4年間のうちに、自分がこれから先どうしていくか、少しでも答えになるようなものを見つけたいと思っていました。ふがいない自分をどうにかしたい、何かわからないけれど、いずれ、自分の中に納得できるものを見つけたい、少しでも自分を変えたい・・・・・・うまく言葉にできませんが、たとえばそんな思いがあったはずでした。でも、何も見つからない。何も変わっていない。何もわからない・・・・・・。

 かといって、はっちゃけることも、自分探しの旅に出ることも、自暴自棄になりかけている自分に対して素直になることさえできず(ただ、単に勇気がなかったのです)、代わり映えのしない澱(よど)んだ毎日を積み重ねていました。時間ばかりが過ぎ、“もうすぐ、終わりになってしまうんだ…”という思いを抱えて、私は“他の多くの大学4年生がするような”就職活動をすることにしたのです。自分ではどうしても答えを見つけることができなくて、ただ“人混みの中”に身を委ねてみたい、自分がどこに流れていくのか、身を任せてみたい・・・そういう、身勝手で後ろ向きな気持ちでした。

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 私の目からみて、一般的な大学生の就職活動というのは、20数年前と今とで、それほど大きくは変わっていないように見えます(5、60年前とでは、大きく違うはずですが)。元号が昭和から平成に変わって間もなくの頃、もう日本は十分に豊かな社会でしたから(ちなみに、私の母、そして母のきょうだいは、中学卒の集団就職だったそうです)。紙の就職情報誌がネットの就職サイトになり、応募ハガキがエントリーシートになり、キャリア教育やインターンシップが一般的になったとは言っても、それでも、大学生はやはり「初めて」就職活動をするのです。大学生活と職業生活との間には小さくないギャップがあります。そして、自分を採るか落とすかするのは、自分たちとは違う“大人”たちです。その得体の知れない人々と次々に会い、そのつど自分についての情報を伝え、値踏みされ、「採用してよい人間」と最終的に見なされることで、やっと、就職活動は終わるのです。

 大学の就職支援センター(名称は大学によって様々ですが)の資料や書店のいわゆる就職活動本などの助けを借りながら、慣れないスーツとカバンでぎこちなく公共交通機関を乗り継ぎ、知らない場所の会社に行って、説明会を聴き、筆記試験を受け、担当者との面接に臨みました。いったい、どうしたらいいんだろう・・・考えがまとまらず、しばしば夜更かしと朝寝(←上級生になると授業が少なくなるので・・・)を繰り返しながら、数ヵ月を過ごしました。ある会社で初めて他の(他大学の、知らない)学生と並んで面接を受けたとき、その学生が実にすらすらと志望動機や自己PRを語るのを聞き、「そんなこと、できない・・・」と思ったこともありました。

 ただ、数ヵ月が過ぎ、何社かの、何度かの試験に落ち、あるいは受かりしていくうちに、自分が面接で話したり、あるいは書類に書き込んだりする事柄に、少なからず共通する内容があることに、ふと、気づくときがありました。それは、本当にあたり前のような話しかもしれないのですが、「自分が、してきたこと、考えてきたこと」そのままでした。
 就職活動のためにしたことではなく、それとは無関係の、そしてもっと前からの・・・・・・「こうありたい」と思いながらそれが実現できなかった、数え上げればきりのない体験、その途中でのいろんな失敗、困ったこと、悩んだこと、(ちょっとだけ)うれしかったこと・・・・・・が、文字どおり自分のすべてで、それ以外に、伝えられるものがなかったのです。もちろん、ここで中身を挙げられるほど、立派なものはありません。(ずるずると…)続けてきたスポーツそして部での活動[#]、あとは、なぜ心理学を学ぶことにし、どうかかわってきたかといった程度のことです。前者について「上級生になっても、大切な団体戦の前には、試合に出る後輩たちの球拾いをしていました」とでも言えば、何となく、想像してもらえるでしょうか?

 後に“失われた10年”と言われるより少し前の、「良い時代」だったせいも多分にあるのでしょう(もしかしたら、それだけだったかも!)。幸いにしてある会社から内々定をいただくことができ、確か夏休みに入って直後くらいの時期に、半年近く続けた就職活動を終えました(その頃まだ部活をやっていて、ある日「会社の様子を見学できる機会があるから、来ないか?」という電話をいただいたのに、「スミマセン、ちょうどその日は試合があるので…」とお断りしてしまったこともありました)。そして、10月1日の(当時の)「内定」解禁日の直前、大学院を受験するからという理由で、内定の辞退を担当の方に伝えました。内々定をいただく一つ前くらいの面接で「大学院を受験するかどうかで迷っています」と正直に伝えていたので、その担当の方は「そうか、残念だが、がんばってくれ」といった意味のことを言ってくださったように記憶しています。

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 そういえば、大学を卒業するとき、同じ学科のある女子学生さんに、雑談の中でちらっと、こんなことを言われました。
 ――「福岡くんは、がんばりやさんだから」

 実はそのとき、あまりいい気がしませんでした。かっこわるいな、と思いました。がんばっても、その程度だから・・・と、自分自身の心の声が、そう言っているような気がしました(※その女子学生さんは、本当にがんばってきた人で、4年間の学費をすべて自分自身でまかなっていたのだそうです、それでしっかり勉強もして、卒業後はその人の希望どおり、心理の専門職に就くことになっていました)。
 でも、大学院に入ってもやっぱりたくさん上手くいかない、恥ずかしい、(周りの人たちに対して)失礼な失敗をくり返していくうちに、やがて、そのような気持ちは薄れていきました。「がんばりやさん」という言い回しが、もしも万一だれかが自分をほめてくれるとしたなら、きっと最大限のほめことばなんだと、いつしか、思うようになっていました。だから今は、この言葉を(きっと、何の気なしに)あのとき使ってくれたこの女子学生さんには、素直に、感謝しています。

 ・・・もちろんですが、「がんばりやさんであること」を「大切にした」などとは、口が裂けても言えません。それは、事実に反します。先ほどまで延々と綴った就職活動も、結局のところ“流されて、流されたくて、やった”というだけで・・・・・・ただ、そのときは、それよりほかにできることが思い浮かばなかった。学生のときだけでなく、その後も、今も、そんな状態でいることが多いような気がします。

(※ちなみに、あのとき以降、だれかが私を「がんばりやさん」だとほめてくれたという事実は、一切ありません。)

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 何ともまとまりのつかない文章を最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございました(そんな奇特な方がおられるかどうか、定かではないですが…)。お題「学生時代に大切にしたこと」に見合う文章は、何ヶ月が過ぎても、やはりできませんでした。ごめんなさい・・・。

 #1つだけ、わがままに言い訳をしておくとしたら、これが「私の学生時代」の一部分だということです。20数年が過ぎた今になっても、はっきりと思い出すことができるような。もちろん、今ここで伝えるべきことだったとは、きっと言えないのでしょうけれど…。

 ともかく、これで私自身が書くのはおしまいにして、また、学科の他の皆さんに「○月○日がいちおうの期限になっておりますので、どうぞよろしくお願いいたします」などとご連絡する仕事に戻ろうと思います(コレも結局、そのとき他にできることが見つからず、「じゃぁ私がします…」と手を挙げたのでした)。きっと、次回以降を担当される方々が、また(これまでの方々と同じように)素敵な文章を寄せてくださることでしょう。みなさん、どうか楽しみにしてくださいね。

 福岡欣治

 

[#] “愛ちゃん”こと福原愛選手がテレビに初めて登場したのは、1993年のことだそうです(当時4歳)。ただ、大学院生だった私はその頃のことをまったく知りません(忘れたのではなく、本当に何も知らない)。学部を終えてすぐの時期にたまたま実家の改修があり、用具も日誌も何もかも、段ボール箱に押し込んで・・・。今ではたくさんの日本選手が世界で活躍し、マスコミにも取り上げられ、ネットで動画をふんだんに見ることができます。幸せな時代です(趣味らしい趣味のない私の、ささやかな楽しみなのです)。リオでは団体、個人ともメダルに届くか届かないか・・・厳しいかもしれませんが、みんなで応援しましょう!