教職員コラム お題「私の仕事」進藤貴子

 「大学の先生って忙しいんだねー、もっと自由時間が多いのかと思っていた」。一緒に暮らしていた義父が、生前、時々言っていました。

 大学教員の仕事は雑用の嵐なのです(一般に仕事とはそういうものかも知れません)。昔、私の恩師が「大学の雑用が多くて…」とこぼしていたら、その上の先生に「それは雑用じゃなくて本務やで」と注意されていましたが。

 一日に処理する仕事はとても雑多です。本当はもう少し後に残る仕事をしなくてはならないのですが。新聞の「首相の一日」を見ると、そのスケールはまったく違うものの、分刻みの似た雰囲気を感じ、げっそりします。授業、カウンセリング、会議、個人指導(履修指導、卒論修論、実習、進路その他)、電話打ち合わせなど、1日中喋っていてデスクワークが何も片付かなかった日には、帰宅後の台所仕事はむっつり無言でガチャガチャやっています。

 仕事のペースが遅く、気を抜くと連綿として、昼ごはんを食べ損ねる日もちょくちょく生じ、見かねた卒業生がスープやドリンク剤をプレゼントしてくれることもありました。

 私は子どもの頃から気が利かない一人っ子で(よく気がつく一人っ子もおられます)、着替えといえば手を広げて突っ立って着せてもらうもの、親戚や近所の人は大体許してくれるもの、授業などあまり出席しなくてもちゃんとやれば(?)単位はもらえるもの、などと思っていました。実際には、親戚や近所の人には、親が何かとつながりをつくってくれており、大学では大学で、友だちが代返したり私の代わりに授業で当てられて答えてくれたりしていたのです。学生の皆さんは、「自分は進藤と比べるとかなりマシな人間だ」と思われるのではないでしょうか。

 今、大学で人のお世話をたくさん「させられて」いる、などと思うとくたびれますが、以上のようなことを振り返ると、私のような者が世の中で仕事を「させていただいて」いるのはもったいないことだと感じます。20歳まで上げ膳据え膳の実家で、家事なども全然できなかった私が「こんなんでいいんじゃろうか」と悩んでいると、「いいよいいよ、その時が来れば何とかなるものよ」と慰めてくれていた母(上げ膳据え膳の張本人)の言葉は、あながち嘘ではなかったと思いたいものです。

進藤貴子