教職員コラム お題「私の宝物」今里有紀子

 このたび、「私の宝物」というお題をいただき、あらためて「宝物」って??と考える時間をもらいました。

 「宝」で「もの(『物』『者』『モノ』)」。なんだかとても重量感を感じさせる言葉だなぁ~と思い、ますます私にとってどんな存在のものなのか考えるようになりました。

 辞書で「宝物」と調べると、おおむね

  1. 世の中に数少なく、貴重なもの。希少価値のあるもの
  2. 財産 金銭
  3. 宝石 貴金属
  4. 他のものと取り替えることができない大切なもの、かけがえのない人。

というような説明がなされていました。

 考えた結果、私は上記1~3とはあまり縁がないので、今回は4から「私の宝物」を考えてみたいと思います。

 私にとっての「宝物」は、やはり人との関係のように感じられました。それは、幼少からの私という「personality」をつくってくれた、家族、友人そして、師、職場の人々、私と関わってくれた人たちのように思います。ちょっと壮大な話ですが(笑)

 今日の私(パーソン)を形成する過程で(よくも、わるくも<?>)何らかの影響を与えてくれた存在です。

 よい時も、悪い時も私を支え、また叱咤激励してくれる存在があったことは、私にとってとても大きな「宝」だったように思います。それは、とても「大切な」「取り替えることのできない」「有難い」存在です。その「存在」は「モノ」ではないようにも思え、何か言葉では表現できないような実体的でもないような・・・

 「(その大切な人は)そこに(目の前に)いなくても」どこか私の「心の内」に棲んでいて、私をそっと抱えてくれているかのようです。私がピンチの時に、そっとその人との体験を思い出し私は再び前を向いて進めていたように思います。

 ちょっと、わかりにくい表現でしたが、私と関わってくれた人たちが、私には大切なかけがえのない「宝物」といえるのではないかなって思います。

 そして、少し現実的な「実体」として、「取り替えることのできない大切なもの」が最近あります。それは、数年前に旅先で存在を知り始めた「御朱印」帳です。

 もともと、旅行や出張に行くと合間に神社や寺院に立ち寄り参拝することがあり、人と歴史そして自然に心を癒されることがありました。御朱印はその神社や寺院で、授かる参拝の証で、手書きの墨書と朱印からなります。「一期一会」で、同じものがなく、その神社仏閣の表情が浮かび上がってくるような出会いとなります。今3冊目終盤ですが、御朱印帳を振り返り見ると、「あのときの私」との再会にもなり、「御朱印帳」が私の歴史帳のような存在になってきています。これからも、合間をみつけては、自分の歴史帳を記していきたいなぁ~と思っています。

今里有紀子