教職員コラム お題「今、熱中していること」白神園子

通勤時間に

 私にとって、朝の通勤時間は妙に感覚の研ぎ澄まされた時間・空間です。

 中庄駅で電車を降りた後、医療福祉大学までは徒歩で向いますが、川崎学園の敷地に入ると、西門から正門に抜ける、銀杏並木に沿った歩道(4m弱の幅で400m程度)があり、日々その道を使っています。私が通る時間帯はあまり通行人がおらず、ほぼ独り占め状態のこともままあります。

 今熱中していることは、保障された安全な空間に思えるこの道のその時間を用いて、身体の感覚に意識を向けることです。長年の姿勢の悪さがたたって、最近いよいよ身体のアンバランスさや縮こまりを感じてきたので、自ずとそうするようになりました。

 例えば、歩行時の左右アンバランスの違和感を解消する前段階として、自分の歩行の癖を知りたく思っており、一歩一歩、その瞬間足の裏のどこに重心が置かれているか、足指がすべて使えているか、はたまた、ぐんと歩幅を大きくて(傍からみるとかなりみっともない)、脚のどこの筋肉に頼って歩いているか、左右差はないか、など意識して歩いています。またときどき、膝をあまり動かさず、その分、足首・蹠を大きく動かして歩いたり、胴体を先に推進させて脚が後からついてくるように歩いたりして、感覚の違いを楽しむと同時に動きの悪い部分を活性化させるなどしています。

 それから、呼吸のしかたもいろいろ変えつつ歩いています。四歩で吸い四歩息止め八歩で吐くとか、その半分もしくは倍の歩数で同じことをするとか、一歩一呼吸を忙しなく繰り返すとか、歩数関係なく限界まで息を吸い限界まで吐くなどもします。日頃自分が肺の一部分しか使っていないなあ、と実感します。楽しいのは息を胸に一杯に吸い込み、それを腹部へおろすように圧力をかけることです。その圧力で、空気人形に空気が入って形が整うように、一つ一つの椎骨の間が整って自分の姿勢が本来望ましい人間の姿勢になるような身体感覚があります。緩めた直後の数秒、頭がクラックラしますが、そのあと心身がより冴え冴えとしてきます。

 まだまだあって、目を瞑って歩くことも楽しいです。目を閉じる直前の光景を一瞬しっかり目に焼き付けて、その光景の中のとあるポイント(現代教育博物館の時計など)を座標中の標準点として、頭の中でその標準点を意識しながら歩くのです。また数メートル先の案内板など近いものを標準点にした場合は、歩行に従っての位置の補正を頭のなかでイメージしながら歩きます。同時に、目蓋の裏に太陽を感じその高さや方向を意識したり、車の音や鳥の声で、それらがどのあたりをどう動いているのかを頭の中で描きます。いまのところ、20数メートル程度進むと安全確認がしたくなり目を開けてしまいますが、概ね、方向ずれぬまま歩けています。

 子供じみたことを延々と書いてしまいましたが、年相応に不具合があっても、体の隅々まで自分自身を存在させ、使いこなせるようになりたい、身体とその感覚を生き生きとさせたい、と思っています。子供さながら熱中して、日日新たに。

 白神園子