教職員コラム お題「私の仕事」澤原光彦

 私が川崎医科大学講師・附属病院医長の辞令を戴いたのは1992年4月のことでした。

 その3ヶ月後の92年7月11日に愛工大名電高校を卒業しドラフト4位でオリックスに入団した鈴木一朗選手が平和台球場における対ホークス戦に出場し、翌12日に初安打を放ちました。彼は当時から打撃センスに光るものが有り、「頑迷固陋な打撃コーチにフォーム矯正など余計な指導をされねばよいが」と私は内心懸念したものです―というのはもちろん大法螺です。

 2年後の1994年開幕から登録名を「イチロー」とした彼のまさしく前人未到の活躍・快進撃は誰もが知るところであり、そのイチロー選手が本年2019年3月21日に東京ドームで行われたマリナーズ対アスレチックスの試合後に野球選手としての現役引退を表明し、大きく報道されました。それは、本学の卒業証書学位記授与式の日の夜のことでありました。

 一方、私も2019年4月から本務を当川崎医療福祉大学とし、3月末を以て医大・附属病院の職務からは一歩退く事となりました。現時点の方針では附属病院での外来診療は継続しますが、病棟の職務は後任に譲ります。本当に単なる偶然ですが、結果的に私の附属病院精神科病棟での医長としての職務期間とイチローのプロ野球選手の活動期間はほぼ重なることになってしまいました。

 ちなみに病棟管理医というのは、名前は厳しいようですが、つまるところ病棟の世話役で、仕事の内容は入院患者の入院受け入れを決定・調整、患者の主治医や指導医さらには主治医の下に就くべき研修医の割り振りをしたり、病棟看護師長と入院病室の割り振りを相談したり、実習学生に当てる患者の割り振りをしたり、夜間休日のオンコールや当直の割り振り状況を確認したり、そして精神科病棟への実地審査・実地指導や立ち入り調査・特定指導・病院機能評価などの際にはマニュアルを整備して準備し当日は監督官庁職員の指導に謙虚にかつ真摯に対応し、更には病棟やその周辺のトラブルには極力すみやかに対処する、といったところになります。教授回診の際の病棟患者一覧表は21年9ヶ月間ほぼ毎週に渡って作成してきました。

 時には、緊急の入院依頼に対して精神科の問題か、身体科にお願いすべきか、当科病棟で受け入れるか、他の精神科専門病院にお願いするか、(そしてごく稀ですが)そもそも医療の対象ではなく警察などの司法対応を優先させるべきではないか、と言った判断も必要とされることがあります。とっさの判断が苦手な私は、いつも「もっとゆっくり考えさせてほしい」と思いながら、えいやっと決めて処理してきました。後から「これでよかったのか、ああも出来たろう、こうも出来たろう」と思い煩うことは本当に多く、従って後悔の念はなかろうはずはないのです。

 加えて、多職種の活動の場としての病棟の世話役としては、できるだけ看護師の意見に耳を傾け、作業療法士・臨床心理士など数が少なく孤立してしまいがちな職種の方々に目配りすることを心がけようとしてきましたが、おそらく「有言不実行の男」にとどまったように思います。

 この春から、時として慌ただしい決断を要し、また時としていささかじれったいところもある病棟の業務から一旦解放されることになりますが、そうなるとまた一抹の寂寥感が感ぜられます。

 一方で、本学に軸足をおいて教育職として仕事をすることになり、内心は大いなる不安と戸惑いに満ちております。心理職を目指す大学院生の指導といった業務は現実に未経験なのですから。

 イチローと己を重ね合わせるが如き不遜な言動は、この様な心情のしからしむるところなのです。(2019年3月26日記す)

澤原光彦