教職員コラム お題「私が学生時代に大切にしたこと」白神園子

 図1

 

 私は大学時代を京都で過ごしました。日々小屈託ある心理学徒でした。とても重荷に思えた実験レポート、なんやかんやの劣等感。勉強や課外生活においても活動性低く、つらつらつらつらと日々とりとめのないことを考えていました。

 とある一般科目の大講義(大好きでした)で、法学部の先生が「普段から学生らしく物事を考えていれば単位はおのずと降ってくる!!」と檄を飛ばされたことがあります。これは試験に向けて何にもしないということではありません。いつも臨戦状態で「学生らしく」激動の世の事象に自分の存在を対峙させて思考を巡らす、ということです。

 先生のその檄に、今思えば可成りお間抜けなのですが、「我が意を得たり」と思っていました。自分にお馴染みのツラツラ思考が、全く以て社会事象や臨戦状態にはほど遠い、内向きの堂々巡りであるのに、そのことには気づいておりませんでした。幼いことです。

 長い枕ですみません。そんなツラツラ思考を心地よく包んでくれたのが京都の街の美しい雰囲気です。

 はい、私は「京都での学生時代」を在学中偏愛していました。もっとしっくりくる表現としては、京都で下宿生であるというセンチメンタリズムを大切に抱えていた、ということでしょうか。

 帯問屋でのアルバイトでは、古い座卓で、絹地に品質保証標的なものを縫いつけたりもしていました。社長と取引先の方々が声ではなく算盤だけ見せ合って値段交渉をする場面もありました。お昼には奥さんがお家のお味噌汁を供してくださいました。

 通学路には織機の音が響いていました。放課後ツラツラしつつ屋上に上がれば、青い比叡山がどんと見えました。四畳半間借りの下宿に帰れば、いつも真っ白の割烹着に身を包んだ優しい大家のおばあ様が、つやのあるお声で「白神さんおかえりなさい」と言ってくださいました。銭湯からの帰り道では、行きがけは何ともなかったのに、5センチくらい雪が積もっていました。

 それから、サークルの演奏会の打ち上げの帰り、別れがたく鴨川の河原で仲間と演奏なんかもしました。川に面した料理屋の窓際には、お座敷に倦んだのか、芸妓さんが夜風にあたっておいででした。無邪気な学生そのまま手を振ると、芸妓さんも手を振り返してくれました。ああ、鴨川、鴨川、鴨川!!

 そういう間中、私は京都の情緒にクラクラしながら、ツラツラ思考をしておりました。

 ちなみに、クラクラする素敵な先輩方もおられました。とても魅了されましたが、心理学で学んだ「弁別」(重量弁別などでの弁別)がへちゃげた「感情の弁別」という勝手流の概念が頭に出来ておりまして、なぜ魅了されるのか、…端正なお顔へのうっとりか、学業・研究に打ち込まれている姿勢への尊敬か、学生に見えぬきちんとした装いへの憧れか…等、この感情とこの感情は違う、というのをツラツラ繰り返しているうちに、「よって、これは恋愛感情であると判断せず」となるのでした。お兄様方のお姿を見かけてはなおもクラクラしてましたのに。

 こんな4年間でしたが、私は京都での学生生活を非常に愛していたので、下宿を引き払う頃は、青臭いながら人生が一旦終わる感覚でした。

 はい。私のすべては京都とともに終わったように思えていました。そして別時空である社会人生活が始まりました。でもでも、その別時空で“新しい”友達ができ始め(素晴らしき同僚達!)、そのことへの不思議な感動がありました(ですから、4年次生さん、大丈夫ですよ)。

 京都を終えての別時空が、今は愛する日常です。岡山、倉敷にも情緒ある毎日があり、学生の表情を含めての、我が川崎学園の四季の美しさにうっとりしつつ、通勤しています。偏愛ではありませんが、やはり愛おしい。

 ありがたく、幸せなことです。JOY! 

白神園子

 

晩秋の叡電元田中駅付近

図2