教員エッセイ
インデックス

「上海出張」記
渡邉 進(本学科学科長)

 2006年12月6日から10日まで、川崎副理事長、岡田学長、医療秘書学科山本先生、伊地知事務部長に同行して上海を訪れる機会を得ました。主な出張目的は、上海中医薬大学設立五十周年記念式典に参加すること、同大学と友好提携協定を締結すること、2006上海国際現代中医薬博覧会に参加すること、同大学附属博物館および附属病院を見学・視察すること、また、川崎学園と長い間友好関係にある上海職工医学院を表敬訪問し交歓・会談すること、同校および関連病院を視察・見学すること、その他関連式典や行事に参加することでした。

 上海中医薬大学は、中国の伝統医学を継承し、教育し、発展させ、研究を深め、臨床応用する中心的大学で、広大な敷地に多くの立派な教育・研究施設・附属病院が建ち並んでいて圧倒されました。記念式典には中国国内や東洋は言うに及ばず、アメリカ、フランス、フィンランド等欧米からも多数の参加者があり、中国伝統医学への関心の高さがうかがえました。博物館には鍼灸の歴史や漢方薬の原材料など多くの資料が展示されており、実に興味深いものでした。
 上海職工医学院は、主に看護師、臨床検査技師、放射線技師等コ・メデイカル・スタッフの養成校で、多くの学生が生き生きと学んでいました。基礎医学や看護の実習室等を見学させていただきましたが、かなり充実しているように感じました。関連病院については、郊外の開発地域にある交通大学附属病院と市街地にある老人病院を見学しました。前者はドイツ人が設計したという巨大で現代的で、西洋医学を主に行う病院でした。後者は主に老人を治療する地域の病院で、特に癌患者のターミナルケアやホスピスに力を入れているとのことでした。

 さて、そろそろリハビリテーションは?ということですが、両校および附属病院を見学した限りではほとんど欧米的なリハビリテーション医療は行われていないようでした。中国では、リハビリテーション医療は「康復医学」(発音はカンフー?)と呼ばれているようでしたが、理学療法や作業療法などはほとんど行われていないようです。主に鍼灸、整体のような技術が行われているようです。リハビリテーションという理念もあまり浸透していないようです。なんとなく日本の30〜40年前の雰囲気のような気がしました。それだけに逆に日本や欧米のリハビリテーション医療に対する関心も高いそうです。 

日本国際協力機構(JICA)は、2001年から2006年まで、5年計画で中国に対する援助プロジェクト「リハビリテーション専門職養成プロジェクト」を行ってきました。この間、首都医科大学(北京市立)の中に理学療法士・作業療法士の4年制養成課程が設置されました。中国の経済発展は著しく、交通事故や労働災害も増加の一途をたどり、それに伴い障害者も急増し、推定6000万人にのぼるといわれています。また、高齢化社会の到来に伴い、脳卒中等の増加に対してリハビリテーション医療体制の整備が急務となっています。リハビリテーションは、まさにこれからというとこでしょう。上海でもいずれその動きが起こるでしょう。

 上海出張に関して、その他印象に残ったことを書いてみます。食では、まずなんといっても上海蟹と本場中華料理が珍しく、おいしかったですが、ふだん質素な食に慣れている私には安いラーメン(3人民元=約45円)が一番おいしいように思われました。街は人口約1700万人の大都会で、林立する摩天楼、ものすごい数の人、自転車、バイクそして自動車が無秩序?に活発に走り回っていました。上海万博が2010年に開かれる予定だそうで、あちらこちら工事だらけでした。北京オリンピックも2008年に開催されますので、日本でいうと東京オリンピックと大阪万博の頃の雰囲気に近いのかもしれませんね。水道水は薄い色つきですし、スモッグはかなりひどいです。最後に一番印象に残ったことを書きます。それは、現地で案内してくださったガイド兼通訳の方、「熱烈歓迎」をしてくださった多くの関係者の皆様の心温まるおもてなしです。川崎学園と両校の長くて確かな「絆」を感じることができました。短期間の出張でしたが、近くて遠い国が少しだけ近くに感じられるようになりました。写真も合わせてご覧下さい。

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岡山ラーメンと私
小原 謙一(本学科助手)

 「すいませーん!替え玉、“カタ”1つ!!」 「はいよ〜!!替えカタ一丁!!!」 と、これは、私がよく行くラーメン屋さんに響いている声です。何だかココロオドリますね。数年前からの博多ラーメンブームによって、「替え玉って何?」と思われる方は少なくなったようですが、簡単に説明させていただきます。“替え玉”とはラーメンの麺だけをおかわりすることです。博多ラーメンなどの極細めんの場合は、大盛りにすると麺がのびてしまいます。だから、「まだ足りないなぁ」と思ったら“替え玉”です。スープは最後になるまで飲みません。それと、“カタ”とは麺のゆで具合、硬さのことで、他にはバリカタ(ヤワ)、ハリガネ、蒸らしなど好みに応じて選べます。
 先日、玉島のあるラーメン屋さんに男ばかり4人で行ってきました。そこには“替え玉”があるので、腹をすかした男たちは我先に「替えカタ!」 と注文し、気が付けば1人4〜5回替え玉をしていました。最初の麺をいれると、私たちだけで合計22玉食べていました。年末だったこともあり、店主に「もう麺が無いので帰ってください。」と言われた時は、「勝った!!!」と思ったものです。しかし、私たちの後に並んでいるお客さんには悪かったかなと反省しています。
 ところで私は、去年の3月まで高知市で生活していました。4月から3年ぶりに倉敷に住んでいますが、真っ先に食べに走ったのがラーメンです。高知にもおいしいもの(魚や野菜、お酒など)はたくさんありましたが、ラーメンはやっぱり岡山ですね。「ラーメンは岡山?はぁあ〜!?」と思われる方は多いでしょう。しかし、岡山は全国でも有数のラーメンどころなんですよ、知っていましたか? 数年前のデータですが、岡山市の人口当たりのラーメン店は、約3,000人に1軒の割合であるそうです。これは西日本で1番多いんです。ご当地ラーメンで有名な和歌山市や福岡市でさえ約5,300人に1軒とはるかに引き離しているのです。また、札幌市の3,100人に 1軒をもしのいでいます(ネット調べ)。3年ぶりに帰ってきてみると、以前よりもラーメン店が増えているように感じます。店が多いということは、ラーメンを好んで食べる人が多いということで、立派なラーメンどころと言えるでしょう。岡山ラーメン学会なるものもあるそうですし。
 では、「岡山らーめんって…?」あまり聞いたことがありません。少し調べたところ、スープはとんこつ醤油が主流で、麺は細いストレートが多いそうですが…。ま、おいしければ何でもいいです。 おいしいラーメン屋さん。岡山の情報誌でも特集が組まれていました。それを見て、つい先日も行列のできているラーメン屋さんに行ってきました。そういう時いつも思うのが、「ラーメンほど好みに左右される食べ物って無いなぁ」です。スープの種類だけでも数種類あり、麺や具などもあわせると数え切れません。そんな中から、自分の好みに合うラーメン屋さんを探すことが、結構楽しくもあります。
 さて、今度の週末はどのラーメン屋さんに行こうか。
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皆様へのメッセージ
田中 順子(本学科講師)

かつては音楽畑で暮らしていました。 5歳でピアノを始め、合唱、声楽、オーケストラ、室内楽等に明け暮れました。 以前、ショパンの「革命のエチュード」と都はるみの「北の宿から」を左手と右手で同時に弾くタレントがいましたが、 私もこっそり練習しました。 ソプラノ笛とアルト笛を2本くわえて二重奏もやれます。 声楽とピアノは毎年ステージにも立っていました。 リハビリテーション学院卒業後もピアノと歌だけは細々と続けていました。

転機が訪れたのは膠原病を発病してからです。 関節の痛みのため、ピアノを弾くことがままならなくなったのです。 そこで思い出すのは、ピアニスト田中希代子です。

1950年代、ジュネーブ、ロン・ティボー、ショパンといった名立たる国際コンクールで日本人初の最高位を獲得し、 「東洋の奇蹟」とまで称された人物です。 しかし、36歳の絶頂期に膠原病に倒れ、ステージから去ることを余儀なくされました。 その失意がどれほど深いものであったかは想像に難くありません。 彼女がそこから立ち上がれたのは、後進の指導に新たな生きがいを見出してからです。 平成8年、64歳で帰らぬ人となりましたが、本人の強い希望で医学の発展のために献体をしています。 宿命を受け止めたその生き方には感銘を受け、勇気づけられます。


作業療法士の治療対象は、元気だった頃の体、心、生活、仕事、趣味、時には家族さえも失った方々です。 その苦悩と持って行き場のない怒り、落胆は如何ばかりでしょうか。 病や障害の受容と一言で言われますが、元気だった頃への執着はそう簡単には消えません。 私自身、発病から7年経った今も、昔のようにはピアノが弾けない自分に悔し涙を流すこともあります。 だから、安易に新たな趣味の開発など提案できません。 その人らしい生活を再び取り戻すお手伝いをするのが作業療法士ですが、 そのためには、その方の思いに心を巡らし心に寄り添うことが一番大切だと思います。 その上で専門職としての技術を提供することだと思います。 先日、ガン患者の方が、発病後の自分は今までとは違う新しい自分だ、とおっしゃっていました。 病や障害を負った新しい自分とどう折り合いをつけどう生きていくか。 患者様と共にそれを探っていくのが私の仕事です。

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タニシ(田螺)
西本 哲也(本学科講師)

タニシはなんと今年で結成10周年です!! と申しましても何のことかわかりませんでしょうか?? 我がリハビリテーション学科が誇る素玄人漫才師タニシのことでございます。 もともとミヤコ蝶々先生の弟子で蝶々劇団に属し舞台役者と漫才をやっていた講師の西本哲也と、 下呂温泉の子供歌舞伎出身で隠れピン芸人をやっていた助教授の国安勝司が、 10年前に西本の入職をきっかけに出会い、結成しました。 10年前の年忘れ大会(川崎学園の忘年会)を皮切りに卒業式謝恩会、 様々な結婚式、臨床実習指導者会議、言語聴覚士学会、中国ブロック理学療法学会、 認知運動療法学会、、全国車椅子ロードレース大会、椿原教授ご就任記念祝賀会、 明石名誉教授ご退任記念会など徐々に徐々に重要なレセプションにお招きいただけるようになってまいりました。 これからもアカデミックなしゃべくり漫才を楽しんでいただけるよう努力してまいりますので、 ベンチャー漫才師のタニシをどうかよろしくお願いいたします!!



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