である。手術はゆっくりと、しかし手際よく、着実に静かに進んでゆく。途中、ふと窓の外に目をやると、雪がしんしんと降り続いているという光景であろう。ハイデルベルグは長い歴史を誇る城と大学の町である。昔、私の勤めていた病院の手術室にも磨りガラスではあったが、高いところに窓がついていた。それが磨りガラスでなければ、降り積もる雪がよく見えたはずである。手術室の研ぎ澄まされたかすかな物音、中田先生の昂ぶる心のうちと戸外の静けさとが伝わってきて、我々の仲間うちで、よく口遊まれる句である。
さて平成4年に先生の生誕百年の碑が脳研究所中庭に建立され、その時、会員全員の賛同により選ばれたのは
学問の静かに雪の降るは好き みづほ
という句であった(写真左)。『手術は芸術だなどと言う人がいるが、決して芸術などではない。まさに学問であり、学問的理詰めで行うものだ』としばしば言われ、「万一死亡した場合には必ず病理解剖に立ち会われ、寒い冬の日など、がらんとした冷え切った解剖室で、最後まで立ち尽くしておられた姿が今でも眼に浮かぶ」と高弟の追悼文にもある。また60歳の時に脳梗塞を発症されたが、その体験を細かに分析、推定し、「私自身の体験した一延髄発症の観察手記」と題した論文発表もある。さらに驚くべきは、亡くなる前夜、自分の延髄はかく摘出、検索して欲しいと書き遺されたことである。臨床医であると同時に、学者として、その学問に対する厳しさは、とても我々常人の及ぶところではない。
数年前のことになるが、倉敷のとある小料理屋で、俳人の辻桃子さん(俳句結社「童子」の主宰)と夕食を共にしたことがある。酒もまわり、気分もほぐれてきたその席で、この中田先生の句に話題が及んだ。門外漢の私も、あれこれと勝手なことを言ったりしていたが、しばらくして彼女は何かの紙を取り出し、その裏へさらさらと書き始めた。
『学問の静かに雪の降るは好き
学問は厳しいが
しーんと寝静まった真夜を
一人いそしむのは
ひそかに愉しい
見ると、しらぬまに音も無く雪が
ああ、学問は好きだ
そして雪はもっと好きだ みづほ』
と。
そして、ばい貝の刺身と一緒に皿にのせられていた大きな貝殻の絵が、その余白に描き添えられた。色付けの茶色は刺身醤油の色である。筆代わりに人差し指を使われたから、右下隅には醤油が一滴垂れている(写真右)。
たったこの一句から、彼女はどうして、中田先生の心中を理解されたのか。学問の厳しさと喜びを感じ取られたのか。私は内心、舌を巻き、感服した。我々弟子の幾人が、これほどまでに深く、師の心のうちに入ってゆくことが出来るであろうか。俳句もよかったのか、辻桃子氏の感性が並外れて素晴らしいのか。相俟ってのことであろうが、これは脳神経外科医である私の宝物である。が、惜しむらくは、それも一興とはいえ、反古紙の裏であることだ。